On the Denmark: Dialogue

デンマークの滞在で起きたこと、感じたこと、行ったこと、分かったこと

13日目「デザイン思考への揺り戻しを感じるこの頃」

2017.09.07

本日とある表現ワークショップが大学で開催されていた。詳細は守秘義務があるので語れない&デンマーク語で分からないの「ダブルパンチ」なのですが、そこには、当たり前のように車椅子の方もいました。あらためて、凄さを感じました。

この表現ワークショップというのは、僕の研究でも扱っています。何かを表現する。そして、表現することで自分たちの課題などに気づいていく。表現することで対象を捉えていく。そういったワークショップです。レゴシリアスプレイもその一種だとは思います。この大学の食堂テーブルには、レゴが常備してあり、いつでも手遊びができるようになっています。

しかし、本日開催していたワークショップでレゴは使っていませんでいた。デンマークにはあのレゴの本社があるのに、それは、なぜなのでしょうか?

 

以前、藝大で須永先生とレゴを使ったワークショップについて議論した時、

  • 表現ではなく「レゴ遊び」になる場合がある
  • 表現が規定され、個性が出しづらい(離れてみると似たような表現になる)

などが挙げられました。

去年デンマークのIT-Uのワークショップに参加した時、レゴではなくデッサン人形をつかったワークショップだったので「なぜ、デンマークなのにレゴを使わなの?」と質問したところ、レゴに馴染みがない世代の場合、レゴを使って何かを表現することは、難しいみたいなことが挙げられていました。

 

もちろんレゴは、子どものころに経験があれば、扱いやすく簡単に何かを表現することを可能とします。表現ワークショップが開催しやすいメリットもあります。しかし、裏を返せば消去法でレゴを選んでいる可能性も高いということです。それ以外の表現ワークショップ(絵を描くこと、粘土で造形すること、文字を書くこと、詩を読むことなど)の設計方法が分からないから、ファシリテーションできないから、レゴを使っている可能性もあるのかなと思いました。

 

本日開催されていたワークショップを眺めながら、表現することの意味ってなんだろうと改めて考えていました。そもそも、表現というのは、自分の体験や感情といった人の内面を文章、絵、詩、演劇、歌などの型で外化することです。

主体的・情動的に外化された表現物、すなわち作品は「鑑賞」によって「共感」し、他者へと伝わります。それゆえに、自分の体験や感情を伝える手段として「表現」は適切なのです。

 

そんなことを考えながら、大学の壁に目をやると、こんな文字が描かれていました。

making is thinking

 

作ることは考えることなんだ!ぼくは、ハッとしました。そうだよ。そうだったんだよと。Think with your handsという手で考えようという言葉の真意ってこれだったんだと気づきました!そして、いつから日本のDesign Thinkingは「thinking is making(designing)」の印象になってしまったのだろうか…と思いました。

 

以前、京大の山内先生や佐藤さんと一緒にワークショップをやった時、多摩美生は何かつくったモノ(何か描いた絵)に対して、それは「結果」ではなく「過程」として捉えることに対し、京大生は「過程」ではなく「結果」として捉えていました。そもそもの考え方に違いがあったのです。

一番面白かったことは、ある学生がアイデアのスケッチを壁に描き始めたら、ある京大生が「勝手に絵を描かないで!」多摩美生に対して注意したことでした。ワークショップ終了後、注意を受けた学生は「生まれて初めて、絵を描いておこられました。今まで絵を描いたことで、喜ばれることはあっても、非難されたことはなかったです」と感想を述べていました。

 

ぼくは、昨今のアメリカ型のDesign Thinkingに抜け落ちている要素のひとつに「この表現が駆動する力」があると思っています。逆説的に考えると、説明できることだけを抽出し、説明できないことを全て排除し、体系化して作られたフレームがいわゆる、IDEOとd.スクールが作ったDesign Thinkingの型なのではないでしょうか。

デザイナーの考え方で説明可能な箇所のみ(Cognition)を表明させたフレームということです。だけど、その一方でデザイナーの感情や情動(Emotion)といった言葉にならない要素の扱い方(表現することの力)が、まだ一般公開されていないと考えています。

 

どの組織がその開示されていない裏死海文書(エヴァネタ)みたいな内容を真っ先に社会に対して、パブリッシュするのか!世界のデザインファームやデザインスクールが必死になって、そのメカニズムを解明しようとしているのではないかと個人的に考えています。

※デザインファームの上層部が手がけるワークショップ(まだ一般公開していない実験的なワークショップ)と下層部が手がけるワークショップ(既に体系化されているワークショップ)に違いがあるという話はよく耳にします。

 

「そんな理由があるのではないか?だからこの学校も表現ワークショップをやっていのでは?」なんてことを想像しながら本日開催されていたワークショップを見ていました。 

その裏死海文書が開示された時、きっとなんちゃってデザイナーはかなり追い込まれるのではないでしょうか?

なぜなら、そこに書かれる内容は、本気で絵を描いたり、モノをつくった経験がないと、本質的には分からない内容になっている気がするからです。それこそ、コンポーネントやデジタルツールではなく、Think with your handsの経験が根底に流れる気がします。

 

 

 

誰かがつくったレゴタワー

 

続く