On the Denmark: Dialogue

デンマークの滞在で起きたこと、感じたこと、行ったこと、分かったこと

138〜139日目「家族」

2018.01.20 〜 2018.01.21

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母親と妹がデンマークまで、遊びに来てくれた。日帰りだったが、自分が住んでいるコリングの街とデザインスクールを紹介できて、嬉しかった。海外のデンマークで家族と会うというのは、新鮮な気持ちだった。ちょうど、気分がどん底だった末期もあり、ありがたかった。

社会人になってから、理由はわからないが、自分の両親との付き合い方が分からなくなった。どう接して良いのか、何を話せば良いのか。分からない。そして、感情が抑えられなくなる。理性下にどうしてもおけない。それがとても辛い…。

両親と別れた後は、いつも「もっと、こう言えば良かった。ああ言えば良かった」と後悔する。いつのまにか、両親と話す時に自分の感情がコントロールできなくなった。仕事では、ありえないことが、両親を前にすると起こってしまう。もう、これは精神疾患の類なのではないかとあきらめている。

 

不思議なことに、中学、高校は、世間でおこなわれいるような反抗期はなかった(気がする)。学校が終われば、今日の出来事を当たり前のように、話していた。

大学に入ると、家を出て、一人暮らしが始まり、親との接点が少なくなった。それまで、毎日顔を合わせていたところから、月1、2回と激変した。

 

社会人になって、地元に帰り、実家暮らしに戻った。やがて、母親とは、口論が頻繁に起こるようになり、父親と話す時はケンカ腰になった。そんな自分が嫌になって、家を出た。これ以上、一緒に過ごすとお互いを傷つけ合うだけだと思い、距離を置いたのだ。

 

その後、夏のお盆と冬のお正月に帰省するだけになった。どこかのタイミングで、あと両親と過ごす日数を数えたら、365日もないんじゃないかと思い、ゾッとした。何か、親孝行ができないかなと考えていた中で「結婚」といった、分かりやすいライフステージに、自分が進むことが、両親にできる親孝行なのかもしれないと思うようになった。

 

やがて、妻と出会い、5年付き合って、結婚した。
そして、妻が、自分と家族を繋いでくれるようになった。

 

デンマークにきて、ひとつ分かったことがある。それは「人と人の関係性」「人と社会の関係性」をどうやって、繋ぐのか?それがデザインの対象になっている。ということだ。テクノロジーによって、壊れた人との繋がり、ひいては、コミュニティを再興していくことがデザイナーの仕事の対象に入ってきている。それは、わたしの妻が自分にしてくれたような意味合いに、かなり近い。

 

今、父親は地域ボランティアを、母親は保育園のサポートをし、保育士の資格をとろうと奮闘している。デザインのアカデミアの世界で、ソーシャルデザインとは〇〇。今後のデザイナーの姿とは、デザインとはと頭を働かせている自分よりも、よっぽど、ソーシャルデザインに関わっている気がする。そんな両親を、誇りに思いながら、自分がここに来たのは、そういった流れだったのかもしれないと思った。

 

母親が保育士の試験に合格することをデンマークから祈っています。

つづく

 

▼その当時のツイッターのつぶやき。

 

 

126〜137日目「精神が病んで、どん底の中で書いた論文とデザインした冊子」

2018.01.08 〜 2018.01.19

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ふり返れば、本当にこの期間の気分はどん底だった。写真も全然とっていない。何もする気が起きない中で、つい口を滑らせて言ってしまった「Participatory design conference 2018」への論文の応募に向けて、もくもくとキーボードを叩いていた。

 

結論から言うと、先日、論文採択の結果が出て、残念ながら、人生初の国際学会への論文投稿は「黒星」スタートとなった。全く凹んでいないかと尋ねられたら、嘘だが、自分には凹む権利があるほど、ちゃんとかけていないことは、投稿時点で分かっていたので、まあ、そりゃそうだと予想できた結果ではあった。

 

そもそも、英語で論文をどうかけば、良いのかを調べながら書いた経緯だったので、今回そこに挑戦したことで、Introduction、Method、Result、Discuss、Conclusionといった文章構造や、原因と結果と理由の違いや書く順序みたいなものが、以前より明確になり、そこは、まずレベルアップした実感を持てたので収穫はあった。(自分は日本語を書いてから、英語に翻訳するのだが、この作業がプログラムのマークアップと同じだったことに気づいた時、一番テンションが上がっていた)

 

レビュアーには、もうちょっと文献調査や行動心理学の裏打ちがないと…と突っ込まれはしたが、自分の中で、やってきた研究のコアみたいな部分が、ようやく分かり、書き終わった時点で満足感と知性を手に入れていた。

 

もちろん、外部機関のお墨付きみたいなものは、喉から手が出るほど欲しいが、冷静に考えると、自分は「デザイン」の実践者でもあるので、アカデミアの保証(真/偽)がなくても、自分でつくった理論をプレゼン資料や仕事で使えれば、間違いなくクラアントさんには、納得感をもって突き刺さった提案ができることに気づいたので、論文の採択は、おまけで良いのだということも分かった。もちろん、今後、アカデミアの道に進むのであれば話は別だが…。

 

自分が論文を書く理由はなんだろうかと、ここ最近ずっと考えていたが、自分の仕事のやり方をレベルアップするために論文をかけば良いのだと分かり、すっきりした。

 

ちなみに、この時期、学校では某プロジェクトをまとめた冊子づくりを手伝っていた。先日のバウハウスにいった影響で、そのグラフィックを意識してつくった冊子のデザインが、学長のエリザベスから評判がすこぶるよく、このデザインは無料なのかと聞かれたので「無料」だよと伝えたら、とても喜んでいた。

 

Design Researchをやりながら、Designingのレベルがあがる。そういった補う合う(complementary)な仕組みは、自分のやり方にあっている気がする。帰国したら、自分の会社にデザインリサーチ部門をつくるので、藝大を卒業してもリサーチは続けて、国際学会への論文投稿も挑戦していきたい。もちろん、卒業するまでに、もう1本国際学会に投稿するつもりだ。

 

つづく

123日目〜125日目「近代デザインの始まりの地、Bauhaus」

2018.01.05 〜 2018.01.07

 

死ぬまでには1度は訪れてみたいと思っていた「Bauhaus」に行くことができた。学校でたまたま、従業員限定でツアーを企画してたので、それに応募し、念願が叶った。

 

アウトバーンを車で南下し、Bauhausに向かった。車中では、デザインコンサルタントの2人から色んなお話を聞くことができたけど、会話が早すぎてちゃんと聞き取れていないのが、非常にもったいなかった。語彙力がなさ過ぎて、「Interesting」を連発していたら、すっかりネタにされた。

 

コンサルは、「答え」をつくるのではなく、「問い」をつくる。

 

この言葉が印象深く、ソーシャルデザインでも同じだなと感じた。元テキスタイルデザイナーだが、それじゃ食えなくなって、デザインコンサルタントに転身したと聞いた。メソッドもアドバイスも抜群の彼女を見ていると、サービスデザインは、こういったクラシカルデザインをバックグラウンドに持つ人にこそ、広めたほうがデザイナーの可能性が広がるのだなとつくづく感じる。

 

話をBauhausに戻すと、校舎、教室、インテリア、教材、カリキュラム、グラフィックなど、当時の社会情勢で良くこれを成し遂げたなと、改めて思う。2018年を見てもカッコよく、色褪せないデザインの造形力とその哲学に惚れ惚れした。自分だけが信じられる「何か」を見つけたら、周りに何言われようが突き進んでみようと。改めて、決心した。余談だが、Bauhausがデザインした機構(窓を開けるハンドルのフィジカルな仕組み)は、デジタルに置き換えても面白いのではないかと思いついて、調べたら既にメディアアート界隈で、既に実装されていた。まあ、そりゃそうだと思い直した。

 

 

ちょうど、下記の展示がおこなわれていて、

ここでもイギリスの建築集団「アッセンブル」の作品がいくつか展示されていた。他にもペットボトルに紐を巻いて、証明にするプロジェクトみたいなものもあり、ソーシャル+ハンドアウトの流れを感じた。

 

Bauhausからの帰りに、ベルリンに2時間だけ寄った。急ぎだったので当時の壁がそのまま残っている場所と、ナチスの展示を見て帰った。日本では絶対に公開できないような生々しい写真と記録が残っていて、月並みな言葉だが、現代に生まれたありがたみを感じた。

 

フランクフルトと比べて、ベルリンは、かなり都会だったので、これは住めるなと感じる一方で、自分はコリングのノンビリした雰囲気が好きなんだなと再認した。

 

そういえば、ベルリンでは、セグウィに乗って、街を巡るツアーがあり(※ハンガリーブダペストもセグウィ貸出サービスがあった)、2020年頃の東京でもこれが起きるんだろうなと(もしかしたら既にあるかもしれないが)、少し未来を見た感覚だった。

 

続く

 

 

 

 

 

120〜122日目「憂鬱な天気と心、デンマークに来てはじめて辛いと感じた日々の始まり」

2018.01.02 〜 2018.01.04

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この時期から、ちょうど1月の中旬くらいまで、本当に辛かった。

辛かった主な原因は以下の通り。

  • ちょうど、滞在生活の折り返しくらい
  • ダグラスが引っ越し、ひとり暮らし開始(孤独)
  • 仲良くなった同僚の半分がいなくなる
  • 仲良くなった友だちも、セメスターが終わったからいなくなる
  • 一緒の大学から来ていたSuicaさんもいなくなる
  • 常に曇り
  • 朝8時で真っ暗
  • 夕方3時で真っ暗
  • この時点では、Joanの雇用も1月末まで
  • 1月2日から仕事始め(日本はお正月真っ盛り)

後日、スウェーデンに留学経験のあるカワチさんに、この話をしたら、僕も同じでしたと共感してもらい、ちょっと安心した。北欧に留学で来られる方、冬のこの時期の精神面、僕はやられたのでお気をつけ下さい。

何もやる気が起きなくて『ヴィンセント・サガ』を全巻読破した話をカワチさんにしたら、カワチさんはナルトだったとの回答で、本当に似たようなことをやるのだと驚きました。