On the Denmark: Dialogue

デンマークの滞在で起きたこと、感じたこと、行ったこと、分かったこと

126〜137日目「精神が病んで、どん底の中で書いた論文とデザインした冊子」

2018.01.08 〜 2018.01.19

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ふり返れば、本当にこの期間の気分はどん底だった。写真も全然とっていない。何もする気が起きない中で、つい口を滑らせて言ってしまった「Participatory design conference 2018」への論文の応募に向けて、もくもくとキーボードを叩いていた。

 

結論から言うと、先日、論文採択の結果が出て、残念ながら、人生初の国際学会への論文投稿は「黒星」スタートとなった。全く凹んでいないかと尋ねられたら、嘘だが、自分には凹む権利があるほど、ちゃんとかけていないことは、投稿時点で分かっていたので、まあ、そりゃそうだと予想できた結果ではあった。

 

そもそも、英語で論文をどうかけば、良いのかを調べながら書いた経緯だったので、今回そこに挑戦したことで、Introduction、Method、Result、Discuss、Conclusionといった文章構造や、原因と結果と理由の違いや書く順序みたいなものが、以前より明確になり、そこは、まずレベルアップした実感を持てたので収穫はあった。(自分は日本語を書いてから、英語に翻訳するのだが、この作業がプログラムのマークアップと同じだったことに気づいた時、一番テンションが上がっていた)

 

レビュアーには、もうちょっと文献調査や行動心理学の裏打ちがないと…と突っ込まれはしたが、自分の中で、やってきた研究のコアみたいな部分が、ようやく分かり、書き終わった時点で満足感と知性を手に入れていた。

 

もちろん、外部機関のお墨付きみたいなものは、喉から手が出るほど欲しいが、冷静に考えると、自分は「デザイン」の実践者でもあるので、アカデミアの保証(真/偽)がなくても、自分でつくった理論をプレゼン資料や仕事で使えれば、間違いなくクラアントさんには、納得感をもって突き刺さった提案ができることに気づいたので、論文の採択は、おまけで良いのだということも分かった。もちろん、今後、アカデミアの道に進むのであれば話は別だが…。

 

自分が論文を書く理由はなんだろうかと、ここ最近ずっと考えていたが、自分の仕事のやり方をレベルアップするために論文をかけば良いのだと分かり、すっきりした。

 

ちなみに、この時期、学校では某プロジェクトをまとめた冊子づくりを手伝っていた。先日のバウハウスにいった影響で、そのグラフィックを意識してつくった冊子のデザインが、学長のエリザベスから評判がすこぶるよく、このデザインは無料なのかと聞かれたので「無料」だよと伝えたら、とても喜んでいた。

 

Design Researchをやりながら、Designingのレベルがあがる。そういった補う合う(complementary)な仕組みは、自分のやり方にあっている気がする。帰国したら、自分の会社にデザインリサーチ部門をつくるので、藝大を卒業してもリサーチは続けて、国際学会への論文投稿も挑戦していきたい。もちろん、卒業するまでに、もう1本国際学会に投稿するつもりだ。

 

つづく