On the Denmark: Dialogue

デンマークの滞在で起きたこと、感じたこと、行ったこと、分かったこと

123日目〜125日目「近代デザインの始まりの地、Bauhaus」

2018.01.05 〜 2018.01.07

 

死ぬまでには1度は訪れてみたいと思っていた「Bauhaus」に行くことができた。学校でたまたま、従業員限定でツアーを企画してたので、それに応募し、念願が叶った。

 

アウトバーンを車で南下し、Bauhausに向かった。車中では、デザインコンサルタントの2人から色んなお話を聞くことができたけど、会話が早すぎてちゃんと聞き取れていないのが、非常にもったいなかった。語彙力がなさ過ぎて、「Interesting」を連発していたら、すっかりネタにされた。

 

コンサルは、「答え」をつくるのではなく、「問い」をつくる。

 

この言葉が印象深く、ソーシャルデザインでも同じだなと感じた。元テキスタイルデザイナーだが、それじゃ食えなくなって、デザインコンサルタントに転身したと聞いた。メソッドもアドバイスも抜群の彼女を見ていると、サービスデザインは、こういったクラシカルデザインをバックグラウンドに持つ人にこそ、広めたほうがデザイナーの可能性が広がるのだなとつくづく感じる。

 

話をBauhausに戻すと、校舎、教室、インテリア、教材、カリキュラム、グラフィックなど、当時の社会情勢で良くこれを成し遂げたなと、改めて思う。2018年を見てもカッコよく、色褪せないデザインの造形力とその哲学に惚れ惚れした。自分だけが信じられる「何か」を見つけたら、周りに何言われようが突き進んでみようと。改めて、決心した。余談だが、Bauhausがデザインした機構(窓を開けるハンドルのフィジカルな仕組み)は、デジタルに置き換えても面白いのではないかと思いついて、調べたら既にメディアアート界隈で、既に実装されていた。まあ、そりゃそうだと思い直した。

 

 

ちょうど、下記の展示がおこなわれていて、

ここでもイギリスの建築集団「アッセンブル」の作品がいくつか展示されていた。他にもペットボトルに紐を巻いて、証明にするプロジェクトみたいなものもあり、ソーシャル+ハンドアウトの流れを感じた。

 

Bauhausからの帰りに、ベルリンに2時間だけ寄った。急ぎだったので当時の壁がそのまま残っている場所と、ナチスの展示を見て帰った。日本では絶対に公開できないような生々しい写真と記録が残っていて、月並みな言葉だが、現代に生まれたありがたみを感じた。

 

フランクフルトと比べて、ベルリンは、かなり都会だったので、これは住めるなと感じる一方で、自分はコリングのノンビリした雰囲気が好きなんだなと再認した。

 

そういえば、ベルリンでは、セグウィに乗って、街を巡るツアーがあり(※ハンガリーブダペストもセグウィ貸出サービスがあった)、2020年頃の東京でもこれが起きるんだろうなと(もしかしたら既にあるかもしれないが)、少し未来を見た感覚だった。

 

続く