On the Denmark: Dialogue

デンマークの滞在で起きたこと、感じたこと、行ったこと、分かったこと

46日目「SarahとJack2(HCDの先にあるもの)」

2017.10.10

「人間中心設計(Human Centerd Design)」という言葉と出会ったのは、8年くらい前の前職時代でした。初めてこの言葉と出会った瞬間に感じた印象をそのまま文字にすると、

 

「なんて、偉そうな言葉なんだ!」でした

 

正直、この言葉自体への印象は今でもさほど変わりません。なんとなく、そこには周りへの配慮みたいなものを感じられないからです。極論的に言えば、人間が求めるものを生み出せれば、隣で山火事が起きても構わない、そんなイメージがこの語感や文字列にはあり、どうしてもその印象が拭えません。

 

それから間もなく、UXという言葉が流行し、デザイン思考の流れにのって、いつの間にか、色んな人たちがHCDの言葉を使うようになり、名刺交換の時に「人間中心設計専門家」と肩書きが付く人と出会うようになりました。

 

3〜4年くらい前、初めて京大の山内先生と出会い、その後、山内先生のお話から

 

「人間-脱-中心設計」

 

という言葉と出会いました。山内先生の授業を藝大の須永先生と一緒に見学させてもらう機会があり、とある京大生が質問した言葉が印象的で、いまでも覚えています。

 

京大生「デザインする時に大事なのは、人間中心なのでしょうか、それとも脱中心なのでしょうか?」

 

そしたら、須永先生が一言

 

「人間は状況依存なので、中心の時も、そうでない時もあります」

 

あの言葉が教室に響き渡り、学生がざわついていました。その後、須永先生にどうしてあんな返答をしたのですか?とこっそり質問した時、

「学生時代は、頭をハンマーでがーんと殴られる言葉をもらったほうがいいんだよ。そういう言葉って一生覚えているから、学べるんだ。僕自信がそうだったから」みたいな内容でした。改めて、本当に学生のことを考えている(目先の就職活動とか、まに合わせの答えを言わない)先生なんだなってつくづく感じました。

 

そういえば、僕自身、多摩美術大学での学生時代、今でもトラウマになっているほどの強い言葉をもらいました。当時、赴任したての永原先生に、卒業制作か何かをプレゼンする機会があり、いわゆるエクスペリエンスデザインの提案をした後の一言。

 

「それは、デザイナーの越権行為じゃないの?」

(※注:恐らく、いまはそうは思っていないのではないかと思います。わかりませんが)

 

この言葉はいまでも僕の心に残っています。というか背筋が凍って、超怖かったので永原先生のイメージ怖いままです(笑)。当時のデザインシーンからしても、そうとられてもしょうがないことは分かります。まだ、任天堂wiiiPhoneもありませんでした。インタラクションと生活者の距離があった時代でした。

 

話を「人間-脱-中心設計」に戻します。「人間-脱-中心設計」については下記の本に詳しく掲載されていますので、興味がある方は是非!

www.amazon.co.jp

 

当時、この本が出版された時、やたらレビュー欄が荒れた記憶があります(いまみたら、きれいだったので、もしかしたら、記憶違いだったかもしれないですが…。)とにかく業界からの評判は、歓迎ムードではなかったのだけは覚えています。

 

僕はこの言葉を初めて聞いた時に、素直にカッコいいと思いました。それは、ある種の業界のタブーみたいなこと(盲目的に信じていること)に正面向かって、それって本当にそうなの?と意見を言えることに、驚いたからです。自分だけが信じられる何かがそこにはあったのかなと思います。

 

最近は、アメリカで有名人がそういった発言をした影響か、以前より人間中心設計に対して、その先を目指す風潮が日本でも強まったのではないかと感じます。まさに人間は状況依存なのだとつくづく感じます。

 

僕自身、去年の夏に「Design@Community」のワークショップで、藝大の毛利先生から教えてもらった「アクターネットワーク(Actor–network)」という言葉の方が、デザインを考える上で、人間中心設計という言葉よりもしっくりきてきています。その言葉には、人間の謙虚さや周りへの配慮みたいなものを感じられるからです。生活世界を生態系として考えていく、人工物、環境、人もみんなアクターなんだ!みたいなことは、デンマークにきてもより強く感じます。

 

実際、Design School Koldingのサスティナブルデザインの授業は、インダストリアルデザインひとつとっても、素材選定、製造工程、売り方、廃棄に至るまで考えてデザインするそうです(こんな授業が6年前からおこなっていることに驚くばかりです)

 

そこには、人間中心設計の標準でもある、ISO9241-210の「ユーザの要求を明示」や「ユーザの要求を満たす」だけやればOKみたいな世界は既にないように感じます。

 

自分の仕事で言えば、人間中心設計ではなく、企業中心設計を感じることがよくあります。そんなことをSarahに言ったら「そうそう、そうなんだよね」みたなリアクションの後に次の言葉をもらいました。

 

If User-Centred Design is now compromised, and Human-Centred Design is philanthropic, what would Person-Centred Design look like?

 Sarah.Kettley

 

また、ひとつ僕の心に残る言葉が増えました。

 

つづく